自動車業界とは全く違う。半導体装置の巨人たちが「直接戦わない」驚きの業界構造
導入:なぜ王者たちは戦わないのか?
自動車業界に目を向ければ、トップ企業のトヨタと日産は市場シェアを奪い合う明確な「競合」です。これは、多くの人が抱くビジネスの常識と言えるでしょう。
では、ハイテク産業の頂点に立つ半導体製造装置業界ではどうでしょうか。業界トップを走るオランダのASMLと、日本の巨人である東京エレクトロン(TEL)。彼らも同じように、日々熾烈な競争を繰り広げているのでしょうか?
この記事では、その問いに対する「意外な答え」と、半導体という極限の技術を追求する業界ならではの、**ユニークで合理的な構造**を解き明かしていきます。
1. 驚きの事実:最強の2社は「競合」ではなく「協業」パートナーだった
結論から言えば、ASMLと東京エレクトロンは、直接的な競合関係にはありません。むしろ、半導体製造という複雑なプロセスにおいては、互いに不可欠な「協力企業」なのです。
この関係性を理解する鍵は、業界の**「すみ分け構造」**にあります。ASMLは、半導体製造の最重要工程である「露光装置」の専業メーカーです。特に、最先端の回路線幅を実現するEUV(極端紫外線)露光装置は、世界でASMLただ一社しか製造できず、まさに**「露光の王者」**として君臨しています。
一方、東京エレクトロンは露光装置を一切扱っていません。その代わり、ウエハー上に薄膜を形成する「成膜」、回路を削り出す「エッチング」、不純物を除去する「洗浄」、そして露光工程に不可欠なレジストを塗布・現像する「塗布・現像」など、露光以外の前工程を幅広くカバーする、いわば**「装置界の総合デパート」**のような存在です。
特に重要なのが、東京エレクトロンが世界最大手のシェアを誇る**「コーターデベロッパー(塗布・現像装置)」**です。これはASMLの露光装置が性能を最大限に発揮するために不可欠であり、両社の装置は連携して開発・動作することが前提となっています。つまり、両社は技術的なパートナーシップで固く結ばれているのです。
むしろ、工程が明確に分かれた装置業界においては、相互に補完し合う**“協力企業”とすら言える存在なのです。**
2. では、本当の戦場はどこにあるのか?
ASMLと東京エレクトロンが直接競合しないのであれば、本当の競争はどこで起きているのでしょうか。
その答えは、東京エレクトロンが事業領域とする分野にあります。東京エレクトロンの直接の競合相手は、米国の巨大装置メーカーである**「アプライドマテリアルズ(Applied Materials)」**と**「ラムリサーチ(Lam Research)」**です。
彼らはまさに、東京エレクトロンと同じ「エッチング」や「成膜」といった分野で激しい市場シェアの奪い合いを繰り広げており、ここが業界の真の**「戦場」**となっています。
deallabが発表した2024年の市場シェアデータを見ても、その構図は明らかです。トップは露光装置を独占するASML(24.72%)ですが、そのすぐ後をアプライドマテリアルズ(22.43%)が2位、東京エレクトロン(15.25%)が3位で追っています。このデータは、業界の真の戦場がASMLの領域外、すなわちTELとアプライドマテリアルズが鎬を削る分野にあることを数字で裏付けています。
3. 業界全体を突き動かす巨大なエンジン:「AI」
この複雑な業界構造を持つ半導体装置市場ですが、現在、その成長を力強く牽引している最大の要因が**「AI」**です。
アプライドマテリアルズのゲイリー・ディッカーソンCEOは、2025年度通期決算発表の場で、AIが市場を牽引していることを次のように認めています。
「AIの普及を追い風に半導体およびウェーハ製造装置への大規模な投資が進む中、アプライド マテリアルズは2025年度に6年連続の成長を達成しました。」
このトレンドは業界全体の予測にも反映されています。日本半導体製造装置協会(SEAJ)の需要予測レポートによると、AI関連のメモリー投資回復が後押しとなり、2024年度の日本製装置の販売高は前年度比20%増の4兆4,371億円に達する見込みです。
今後、AIサーバー向けのGPUやHBM(高帯域幅メモリ)といった先端分野だけでなく、PCやスマートフォンにAI機能を直接搭載する**「オンデバイスAI」**の普及が本格化します。このため、「オンデバイスAI」の普及は、2nm世代のロジックやHBMといった最先端半導体の需要を爆発的に増加させ、ASML、東京エレクトロン、そしてアプライドマテリアルズといった装置メーカー各社にさらなる恩恵をもたらすでしょう。
4. 競争の先にある「共創」のエコシステム
ここまで見てきたように、この業界は単なる競争や協業だけで成り立っているわけではありません。業界全体で未来の技術を創り出す、**「共創」のエコシステム**が形成されているのです。
その象徴的な例が、ASMLと東京エレクトロンの連携です。両社は最先端のEUVプロセスにおいて、歩留まりの最適化や露光・塗布・現像を一体化したパッケージソリューションを提供するため、共同で評価ラインを開発しています。これは、一社だけでは成し得ない技術革新を共に創り上げる**「共創」関係**と言えます。
さらに驚くべきは、この共創の輪が人材育成にまで及んでいる点です。広島大学大学院の講義「半導体メモリ技術概論」のシラバスを見てみましょう。講師陣には、ASML、東京エレクトロンはもちろんのこと、本来は競合であるはずのアプライドマテリアルズやラムリサーチの専門家(客員教授)まで名を連ねています。
これは単なる社会貢献活動ではありません。半導体製造の極度な複雑性と技術革新の速さが、業界全体にとって深刻な**人材不足**という共通の存続危機を生み出しているからです。技術開発だけでなく、その担い手を育てる段階から業界全体が協力し合う、極めて高度なエコシステムがここには存在します。
結論:半導体業界から学ぶ、未来の産業のカタチ
半導体製造装置業界は、自動車産業のような単純な市場シェアの奪い合いとは全く異なる構造を持っています。それは、「工程ごとの専門化」「相互補完的な協業」「特定領域での熾烈な競争」、そして未来の技術に向けた「共創」が、複雑かつ合理的に絡み合ったユニークなエコシステムです。
一つのゴールに向かって、各分野のスペシャリストが協力し、時には競い合いながら、全体として前進していく。技術の進化が個社の限界を凌駕する未来において、この**「競い、補い、共に創る」**という半導体装置業界のエコシステムは、単なる一事例ではありません。
それは、極限の複雑性と向き合うすべてのハイテク産業が、**いずれ直面する未来の産業モデルそのものだと言えるでしょう。**