静岡駅のホームに立ったとき、目の前に現れたのは銀色に輝く373系。見た目はスマートで、特急らしい風格がある。
目的地は甲府。距離にして122km。所要時間は2時間10分。平均時速は約48km。……それって、自転車でも頑張ればいける速度じゃないか?
車内は快適。座席も広く、揺れも少ない。車両の性能は申し分ない。だが、線路がそれを許してくれない。身延線の線形は厳しく、カーブと勾配の連続。スピードを出すどころか、慎重に進むしかない。
列車はやがて山間部へと入っていく。川沿いを走る区間では、窓の外に広がる緑と水のコントラストが美しい。
しかし、夏場になると別の問題が発生する。ドアが大きすぎるせいか、虫が入りやすい。セミやカナブンが車内を飛び交うこともある。乗客は黙って座っているが、虫は自由に動き回っている。これはもう、電車ではなく昆虫館だ。
ふじかわが今も走り続けている理由のひとつは、宗教的な需要だ。身延山久遠寺への団体参拝など、一定の利用者がいる。
信仰が交通を支えているという、珍しい構図だ。ふじかわは、宗教と地域の絆によって延命されているとも言える。
しかし、現実は厳しい。高速バスが圧倒的に速くて安い。中部横断道の整備により、鉄道の優位性は失われつつある。ふじかわは、もはや“ついで”のような存在になってしまった。
2時間10分あれば、新幹線なら大阪に着いている時間だ。ふじかわはまだ山の中を走っている。これはもう、特急ではなく“散歩”だ。
だが、そんなふじかわにも、確かに魅力はある。のんびりとした時間、静かな車内、美しい風景。急がない旅には、ふじかわはちょうどいい。
“速さ”を求めるなら、ふじかわは向いていない。 でも、“旅情”を求めるなら、ふじかわは悪くない。
特急ふじかわは、名前に反して特急らしさは薄い。だが、その“ゆるさ”こそが、この列車の個性なのかもしれない。
次に乗るときは、急がず、焦らず、虫と共に、のんびりとした時間を楽しもうと思う。