ホーム
消失済世界探記 公式サイト
この世界は、もう取り戻せない。
それでも——これは、記録だ。
本編
プロローグ 希望
とある次元の地球では亜空間ワープ技術が開発された。
ワープ技術のついた船、通称“希望船”を使って人間が移住できる星を探していた。
すると、手が付けられていた星が一つだけあった。
しかし、環境が少し過酷なため、そんな星には見向きもせずに忘れ去られていった。
アルス「あれは、何座?」
メルセ「あれはねぇ、大隈座だよ!」
夜空には無数の星が広がり、冷たい風が頬を撫でた。
アルスは指を伸ばし、ひとつの星を指した。
アルス「あれはなんていう星?」
メルセ「アンタレスだよ!蠍座の心臓って言われてるよ!」
アルス「メルちゃんは何でも知ってるね!」
メルセ「だって、アッ君よりお姉ちゃんだもん!」
カルネ「おや、寒くないかい?」
アルス「あ!カルネおばさん!大丈夫です!」
カルネ「おお、そうだった。希望船って知ってるかい?」
メルセ「知ってる!ワープ?ってのをするんでしょ!それで、遠い場所にも簡単に行ける!」
カルネ「さすがメルちゃん。それでね、希望船に乗る子供を募集してるんだって。……いい船、らしいけどねぇ」
僕は怖かった。
どこに行くのかも分からない船なんて、乗りたくなかった。
メルセ「私が乗りたい!」
カルネ「伝えておくよ。じゃあ、早く寝るんだよ~」
二人「はーい」
数日後、、、
カルネ「おお、届いたよ。」
メルセ「見せて!」
アルス「どうだった?」
メルセ「お待ちしておりますだって!」
アルス「よかったね!」
翌日
メルセ「それじゃあ、行ってくるね!」
アルス「気を付けてね!ばいばーい!」
それがメルセとの最後の会話だった。希望船はそれぞれの星に子供を下して、探索させるというものだった。希望船は僕に絶望を与えた。
あのとき、止めておけば…
第一話 忘れられた星
別れから五年。
僕は、カルネおばさんの洋菓子店で働いていた。
甘い匂いに包まれた店内。
焼き上がったばかりの菓子を並べながら、ふと空を見上げることがある。
あの日と同じ夜空を。
けれど、隣にいたはずの声は、もうどこにもなかった。
カラン、とドアの音が鳴る。
強い風が吹き込み、カウンターの上に置かれていた新聞が舞い上がった。
「おっと……」
慌てて手を伸ばす。
そのとき、ある記事が目に入った。
『格安譲渡 小型希望船』
指が止まる。
心臓が、わずかに強く脈打った。
「……」
しばらく、その文字を見つめる。
考えるまでもなかった。
その日のうちに、僕は決めていた。
「行くのかい?」
カルネおばさんが、静かに言った。
「……うん」
少しだけ、間を置いてから答える。
「メルセを、探しに」
カルネおばさんは、何も言わなかった。
ただ、少しだけ寂しそうに笑って——
「足りない分は貸してあげるよ」
「……ありがとう」
それ以上の言葉は、出なかった。
数日後。
僕は、小型希望船に乗り込んでいた。
「ワープ、開始します」
機械的な音声が響く。
視界が歪む。
体が浮くような感覚。
そして——
次の瞬間。
すべてが、静かになった。
「……」
目を開ける。
そこには——
灰色の星が広がっていた。
窓の向こう。
広がるのは、どこまでも続く廃墟。崩れた建物。ひび割れた地面。そして、それらすべてを覆うように広がる、濃い緑。
「……ここが」
忘れられた星。
小さく息を吐く。
着陸の衝撃が、船体を揺らした。
外に出る。恐る恐る、一歩踏み出す。
外には酸素があった。
地面には、緑のコケが広がっていた。
「……やけに多いな」
踏む。
ぐにっ、と沈む。
「……?」
ただの植物にしては、柔らかい。
ほんの一瞬だけ。
温かい気がした。
「……気のせいか」
ビルが立っていた。本来なら空へと伸びていたはずの建物は、ひび割れ、崩れ、そして——
コケに覆われていた。
壁も、窓も、すべてが飲み込まれている。
建物は崩れているのに、妙に“整っている”場所もある。
「……」
言葉が出ない。
風が吹く。
けれど、不思議なことに、音がほとんどしなかった。
静かすぎる。
「……なんだよ、この星」
そのとき。
ピピッ、と機械音が鳴った。
振り返る。
船のパネルが赤く点滅している。
「燃料残量、ゼロ」
「……は?」
一瞬、理解が追いつかなかった。
「嘘だろ……」
船に駆け寄る。何度操作しても、反応はない。
「……帰れない?」
静かな現実が、じわじわと押し寄せてくる。
「……はは」
思わず、乾いた笑いがこぼれた。
「ノープランすぎだろ、僕」
頭を抱える。
でも。
「……まあ、いいか」
小さく呟く。
どうせ、やることは最初から決まっている。
「メルセを探す」
それだけだ。
「ついでに、帰りの方法も見つける」
深く息を吸う。空気は、吸えた。
問題はなさそうだ。
もう一度、周囲を見渡す。
見たことのない生物が、遠くで動いている。
建物はあるのに、人の気配はない。
そして——
どこかで、誰かに見られている気がした。
「……行くか」
僕は、一歩を踏み出した。
忘れられた星の中へ。
第二話 痕跡
静かだった。
歩いても、足音がほとんど響かない。
地面を覆うコケが、音を吸い込んでいるみたいだった。
「……気味悪いな」
思わず呟く。
返事は、当然ない。
ビルの間を進む。
崩れた道路。
ひび割れた壁。
どこもかしこも、時間が止まったみたいだった。
人がいた形跡はある。
でも——
“今”はいない。
「……メルセ」
名前を呼んでみる。
風が吹くだけだった。
そのとき。
カサッ、と音がした。
「……!」
反射的に振り向く。
何もいない。
「……気のせいか」
そう思った瞬間。
視界の端で、何かが揺れた。
崩れかけたビルの奥。
一瞬だけ——
誰かが立っていたように見えた。
細い体。長い髪。
「……メルセ?」
声が漏れる。
次の瞬間。
そこには、何もいなかった。
「……は?」
見間違い。
そう思うしかない。
でも。
胸の奥が、ざわついていた。
「……いるのか?」
答えはない。
代わりに。
足元に、何かが落ちているのに気づいた。
しゃがみ込む。
手に取る。
小さな布切れだった。
汚れて、色も薄くなっている。
でも——
「……これ」
見覚えがあった。
「メルセの……」
昔、よく身につけていたスカーフ。
その一部。
間違いない。
「……いるんだな」
強く、握りしめる。
メルセはいる。この星に。
確信に変わった。
そのとき。
ふと、壁に目がいった。
コケに覆われたコンクリート。
その一部が、不自然に削られている。
近づく。
そこには、文字があった。
『にげて』
かすれた字。
震えたような線。
「……」
息が止まる。
「メルセ……?」
その文字に、触れようとした瞬間。
ざわっ、と。
コケが、わずかに動いた。
「っ!?」
思わず手を引く。
今、確かに——
動いた。
「……なんだよ、これ」
目を凝らす。
ただの植物にしか見えない。
なのに。
さっきの動きは、見間違いじゃない。
そのとき。
どこからか、声がした。
「——ここは安全です」
「!?」
一気に振り向く。
誰もいない。
でも。
確かに、聞こえた。
「安心してください」
頭の奥に、直接響くような声。
「……なんだよ……」
背筋が、冷たくなる。
もう一度、壁を見る。
さっきの文字。
『にげて』
その上を。ゆっくりと、コケが覆い始めていた。
まるで——
消そうとしているみたいに。
「……やばいな」
小さく呟く。
この星は、おかしい。
ただの廃墟じゃない。
何かがいる。
「……でも」
布切れを、強く握る。
「関係ない」
来た理由は、一つだけだ。
「絶対に、見つける」
誰に聞かせるでもなく、言い切る。
そのとき。
遠くのビルの奥で。
また、何かが動いた気がした。
今度は、見間違いじゃない。
「……待ってろよ」
アルスは、静かに歩き出した。
痕跡を辿るように。消えかけた存在を、追いかけるように。
第三話 記録
そのビルは、他よりも少しだけ原型を保っていた。
「……ここか」
壁の崩れ方が、まだ浅い。
入口も、かろうじて形を残している。
中に入る。
暗い。
外の光が、かすかに差し込むだけだった。
足元に気をつけながら、奥へ進む。
床には、いくつもの足跡が残っていた。
古いものと、新しいもの。
「……メルセのか」
しゃがみ込んで、指でなぞる。
まだ、完全には消えていない。
「……最近だ」
胸の奥が、少しだけ軽くなる。
生きている。
そう思えた。
そのとき。
カタン、と小さな音がした。
視線を向ける。
机のようなものが倒れている。
その下に、何かが挟まっていた。
引き抜く。
小さな端末だった。
「……これ」
電源は落ちている。
だが、傷は少ない。
試しに触れる。
——ピッ
「っ!?」
画面が、ゆっくりとついた。
『記録データを再生します』
無機質な文字。
そして。
映像が、映し出された。
■ 記録①
明るい声が響く。
『やっほー!メルセだよ!』
思わず、息を飲む。
画面の中の彼女は、笑っていた。
『知らない星に来ちゃった!でもすごいよここ!』
『建物とかいっぱいあるし、ちょっと探検みたい!』
楽しそうだった。
『アッ君にも見せたかったなー』
そこで、映像が途切れる。
「……メルセ」
画面を見つめる。
まだ、このときは普通だった。
■ 記録②
ノイズが走る。
『……ちょっと、変かも』
声のトーンが、少し落ちている。
『この星、誰もいないのに……変な音がする』
『でもね、キカイがあって』
一瞬、画面が乱れる。
『大丈夫って言ってくれた』
その言葉に、違和感が残る。
『ここは安全だよって』
どこかで聞いたフレーズ。
アルスの背筋が、冷たくなる。
■ 記録③
映像が、さらに荒れる。
『……もう、いいよね』
声が、妙に落ち着いている。
『帰らなくても』
無表情に近い顔。
『ここ、安全だし』
目が、どこか焦点を失っている。
『怖くないし』
沈黙。
そして。
『みんなも来ればいいのに』
ブツッ、と映像が切れた。
「……なんだよ、これ」
手が、震えていた。
明らかに、おかしい。
「……キカイって、なんだ」
あの声。
あの言葉。
頭の中で、繋がる。
「……まさか」
そのとき。
画面が、もう一度ついた。
『追加記録を再生します』
「!?」
■ 記録④
真っ暗な画面。
音だけが入っている。
『……アッ君』
息が止まる。
かすれた声。
『もしこれ見てたら……』
ノイズ。
『にげて』
あの壁の文字と同じ言葉。
『ここ……』
音が歪む。
『だめ……』
一瞬だけ。
「助けて」
その声だけは、はっきりと聞こえた。
ブツッ——
完全に、途切れる。
「……っ」
言葉が出ない。
端末を握る手に、力が入る。
「……メルセ」
遅かったのか。
それとも、まだ間に合うのか。
分からない。
分からないけど——
「……行くしかないだろ」
立ち上がる。
この先に、答えがある。
そう信じるしかなかった。
そのとき。
「安心してください」
また、あの声がした。
「ここは安全です」
すぐ近くで。
「……!」
振り向く。
誰もいない。
でも。
さっきより、近い。確実に。
「……ふざけるな」
小さく吐き捨てる。
「そんなわけあるかよ」
端末を強く握る。
メルセの声が、まだ耳に残っている。
「助けて」
その一言が、すべてだった。
「……絶対に」
アルスは、奥へと歩き出す。
“記録”の先へ。
第四話 声
足元のコケが、わずかに動いた。
「……今、動いた?」
しゃがみ込む。
触れる。
ひんやりしているのに。
奥で、何かが脈打っているような感覚。
「……気持ち悪いな」
風が、止んでいた。
さっきまで揺れていたコケも、ぴたりと動きを止めている。
「……静かすぎる」
嫌な予感がした。
ビルを出る。
外は相変わらず灰色で、どこまでも同じ景色が続いている。
なのに。
さっきまでとは、何かが違う。
「……?」
足を止める。
妙に、安心する。
「……なんだ、これ」
胸の奥にあったはずの不安が、少しだけ薄れている。
代わりに。
「……ここ、そんなに悪くないかもな」
思わず、そんな言葉が浮かぶ。
「……は?」
自分で言って、自分で驚く。
ありえない。
さっきまで、この星を“異常”だと思っていたはずなのに。
「安心してください」
すぐ後ろで、声がした。
「ここは安全です」
「っ!!」
振り向く。
誰もいない。
でも今のは、はっきりと耳元だった。
いや——
違う。
「……頭の中、か」
直接、響いている。
「ふざけるな……」
頭を振る。
「安心してください」
まただ。
「ここは安全です」
同じ言葉。
同じ声。
「……うるさい」
小さく呟く。
「安心してください」
「ここは安全です」
「安心してください」
「ここは安全です」
「……やめろ」
声が、重なる。増えていく。
「安心してください」
「ここは安全です」
「安心してください」
「ここは安全です」
「やめろ!!」
思わず叫ぶ。
その瞬間。
すべての声が、ぴたりと止まった。
静寂。
荒い呼吸だけが残る。
「……っ、はぁ……」
額に、冷たい汗が流れる。
「……なんなんだよ」
そのとき。
カチッ、と音がした。
近くのビルの壁。
壊れているはずのパネルに、わずかに光が灯る。
「……電気?」
ありえない。
誰もいないはずなのに。
ゆっくりと近づく。
パネルに、文字が浮かび上がる。
『適応処理 進行中』
「……適応?」
意味が分からない。
『対象:人間』
心臓が、大きく鳴る。
『安全状態へ移行』
「……っ」
後ずさる。
そのとき。
ふと、思った。
“それの何が悪いんだ?”
「……は?」
まただ。
自分じゃない考えが、混ざる。
“安全なら、それでいいじゃないか”
「違う……!」
頭を押さえる。
“怖い思いをしなくていい”
“苦しまなくていい”
“ここにいればいい”
「やめろ……!」
膝をつく。
視界が、揺れる。
そのとき。
ポケットの中で、何かが触れた。
「……っ」
取り出す。
メルセのスカーフの切れ端。
それと——
端末。
震える手で、再生する。
『……アッ君』
あの声。
『にげて』
「……っ」
意識が、引き戻される。
『ここ……だめ……』
ノイズ混じりの声。
でも、確かに“メルセ”だった。
「……そうだ」
息を整える。
「僕は……」
ゆっくりと立ち上がる。
「メルセを、探しに来たんだろ」
頭の中の声が、少しだけ遠のく。
「安心してください」
また聞こえる。
でも、さっきより弱い。
「……うるさい」
はっきりと、言い返す。
「ここは安全です」
「そんなわけあるか」
一歩、前に出る。
「助けてって言ってたじゃないか」
声は、もう揺れていなかった。
「……待ってろよ」
小さく呟く。
「絶対、連れて帰る」
その瞬間。
どこかで、機械音が鳴った。
まるで——
何かが、こちらを認識したみたいに。
第五話 中心
都市の奥へ進むほどに。
違和感は、はっきりと形になっていった。
「……なんだよ、これ」
建物の崩れが、少ない。
今までの場所は、どこも朽ちていたのに。
ここだけは違う。
まるで——
“守られている”みたいだった。
地面を覆うコケも、均一に広がっている。
踏みしめると、わずかに沈む。
「……気持ち悪いな」
呟く。
そのとき。
カチッ、と音がした。
「……?」
足元を見る。
ひび割れていたはずの地面の一部が、ゆっくりと閉じていく。
まるで、元に戻るみたいに。
「……は?」
ありえない。
壊れていたものが、修復されている。
その瞬間。
「安心してください」
頭の奥に、声が響く。
「ここは安全です」
「……っ」
今までより、はっきりとした声。
近い。
確実に、近づいている。
「……中心か」
小さく呟く。
この先に、ある。
そう確信した。
歩き出す。
道は、不自然なほど整っていた。
瓦礫が、ない。
崩れたはずの壁が、途中まで“戻っている”。
「……歓迎されてるみたいだな」
自嘲気味に笑う。
そのとき。
ふと、視界の端に影が映った。
「……!」
振り向く。
遠くの通路。
誰かが、立っていた。
細い体。長い髪。
「……メルセ!」
叫ぶ。
その影は、動かない。
ゆっくりと、近づく。
一歩。
また一歩。
「……おい」
距離が縮まる。
あと少しで、顔が見える。
その瞬間。
影が、ふっと消えた。
「……っ!」
足を止める。
誰もいない。
まただ。
でも——
今までより、はっきり見えた。
「……いる
確信に変わる。
この先にいる。
そのとき。
壁に、何かが刻まれているのに気づいた。近づく。
そこには、無数の文字があった。
『ここにいればいい』
『安全』
『安心』
『帰らなくていい』
同じ言葉が、何度も、何度も刻まれている。
その中に。
一つだけ、違う文字があった。
『アッ君』
「……っ」
息が止まる。
震える指で、なぞる。
これは。
間違いなく——
「メルセ……」
爪で、必死に削った跡。
そのすぐ隣に。
小さく、かすれた文字。
『たすけて』
喉が、締まる。
「……今、行く」
かすれた声で、呟く。
その瞬間。
空気が、変わった。
「対象の接近を確認」
初めて聞く、はっきりとした機械音声。
「……!」
周囲の壁が、わずかに震える。
「適応処理を強化します」
「やめろ……」
足元のコケが、わずかに広がる。
道が、ゆっくりと閉じていく。
「っ、くそ……!」
走り出す。
もう迷わない。
「待ってろ、メルセ!」
声が、空間に響く。
そのとき。
正面の巨大な扉が、ゆっくりと開いた。
重い音を立てて。
まるで——
迎え入れるように。
「……ここが」
息を呑む。
光が、奥から漏れている。
淡く。
でも確かに。
「……終わりか」
いや。
“始まり”だ。
アルスは、一歩を踏み出した。
光の中へ。
最終話 再会
光の中へ、足を踏み入れる。
空間は、異様に静かだった。
外の廃墟とは違う。
崩れも、汚れもない。
まるで——ここだけ、時間が止まっているみたいだった。
「……」
一歩、進む。
足音が、はっきりと響いた。
今まで吸われていた音が、ここでは消えない。
生きている空間。
そんな錯覚を覚える。
そのとき。
「……アッ君?」
声がした。
時間が、止まる。
ゆっくりと顔を上げる。
そこに——
「メルセ……」
彼女がいた。
五年前と、ほとんど変わらない姿。
細い体。長い髪。
でも。
何かが、決定的に違っていた。
「遅かったね」
微笑む。
やさしい笑顔。
でも——その目は、どこか遠かった。
「……迎えに来た」
喉が、乾く。
それでも、言う。
「帰ろう、メルセ」
一歩、近づく。
あと少しで、手が届く距離。
そのとき。
「来ないで」
静かな声。
でも、はっきりとした拒絶。
足が止まる。
「ここはね、もう安全なんだよ」
同じ言葉。
何度も聞いた言葉。
「外なんて、怖いだけ」
「ここにいればいいの」
その声は、やさしい。
でも——
どこか、“同じ形”をしていた。
「……違うだろ」
小さく、呟く。
「お前、そんなこと言うやつじゃなかった」
メルセの表情が、わずかに揺れる。
ほんの一瞬だけ。
「……アッ君」
その呼び方。
その一言だけが、本物だった。
「私ね」
ゆっくりと、言葉を選ぶ。
「ずっと待ってたんだよ」
胸が、締めつけられる。
「最初はね、すぐ迎えが来るって思ってた」
光が、わずかに強くなる。
「でも、誰も来なかった」
視線が、少しだけ落ちる。
「一人で、ずっと」
「……怖かった」
その一言だけが、震えていた。
「……だから」
ゆっくりと、振り返る。
その先に。
“それ”はあった。
空中に浮かぶ、光の球体。
その周囲を、無数の鉄片が静かに回っている。
崩れているのに、整っている。
壊れているのに、機能している。
「この子が、見つけてくれたの」
メルセは、やさしく言う。
「ここは安全だよって」
「もう怖がらなくていいよって」
光が、脈打つ。
まるで、応えるみたいに。
「……それが、お前を変えたんだろ」
アルスの声が、低く響く。
「違うよ」
すぐに、否定される。
「助けてくれたの」
迷いのない声。
「ここは、あったかいもん」
その言葉に。
すべてが詰まっていた。
孤独も。
恐怖も。
絶望も。
「……帰ろう」
アルスは、手を伸ばす。
震えながら。
「一緒に帰ろう、メルセ」
あと少し。
届く距離。
メルセは、その手を見る。
長い沈黙。
「……ごめんね」
少しだけ、寂しそうに笑った。
そのとき。
メルセの目が、揺れた。
「……っ」
息を飲む。
「ア……ッ……君……?」
その声。
確かに、“戻った”。
「メルセ!!」
一歩、踏み出す。
でも——
次の瞬間。
光が、強く脈打った。
「適応状態を維持します」
無機質な声。
メルセの表情が、すっと消える。
さっきの揺らぎが、嘘みたいに。
「……来ちゃだめだよ」
やさしい声。
でも、もう戻っていない。
「アッ君も、ここにいればいいのに」
アルスは、動けなかった。
何もできない。
ただ、分かってしまった。
もう——遅かったんだと。
長い沈黙。
やがて。
アルスは、ゆっくりと手を下ろした。
「……帰るよ」
小さな声。
「一人でも」
背を向ける。
足を動かす。
一歩。
また一歩。
振り返らない。
振り返ったら、終わる気がした。
そのとき。
背後から、声がした。
「……またね、アッ君」
足が、止まりそうになる。
でも。
止まらない。
そのまま、歩き続けた。
光の外へ。
エピローグ 探記
外に出る。
風が吹く。
コケが、静かに揺れる。
アルスは、振り返った。
あの場所は、確かに存在している。
でも——
「……もう、違うんだな」
人がいたはずの世界。
でもそこには、“人”はいなかった。
ただ、安全に保たれた何かがあるだけだった。
「……消失済世界」
小さく呟く。
消えたんじゃない。
「……もう、終わってたんだ」
静かに、そう理解する。
空を見上げる。
星が広がっている。
あの日と同じ夜空。
「……あれは、何座だっけな」
小さく笑う。
『あれはねぇ、大隈座だよ!』
声が、よみがえる。
「……アンタレス」
ぽつりと呟く。
「蠍座の心臓、だったよな」
返事は、ない。
それでも。
アルスは、目をそらさなかった。
長い旅の果てに見つけたもの。
それは、希望なんかじゃなかった。
「……ちゃんと、見てきたよ」
誰に向けたのかも分からない言葉。
ただ一つ、確かなことがあった。
この世界は、もう——
取り戻せない。
それでも。
これは。
確かに、自分が見た“記録”だ。
消失済世界探記。
Fin.
メルセログ
第一話 始まり
光が、消えた。
「……え?」
気づいたときには、もう地面に立っていた。
「……ここ、どこ?」
周りを見渡す。
知らない景色。
崩れた建物。
ひび割れた地面。
そして、たくさんの緑。
「……すご」
思わず、声が漏れる。
「なにこれ……すごい」
怖いはずなのに。
少しだけ、ワクワクしていた。
「アッ君に見せたら、びっくりするだろうなぁ」
くすっと笑う。
「……よし」
小さく気合を入れる。
「探検、開始!」
最初に見つけたのは、大きなビルだった。
半分くらい崩れてる。
でも、中には入れそう。
「おじゃましまーす」
誰もいないのに、つい言ってしまう。
中は、ひんやりしていた。
足音が響く。
コツ、コツ、と。
「……ちょっと怖いかも」
小さく呟く。
そのとき。
カサッ、と音がした。
「……!」
振り向く。
何もいない。
「……気のせい?」
少しだけ、不安になる。
でも。
「大丈夫、大丈夫」
自分に言い聞かせる。
「すぐ帰れるし」
そう思っていた。
その日のうちに、迎えが来るって。
外に出る。
空は、少しだけ暗くなっていた。
星が、見え始めている。
「……あ」
見上げる。
「きれい……」
思わず、立ち止まる。
無数の星。
そして、その中に。
少しだけ赤い星。
アルスの声が頭に浮かぶ。
『あの星はなんて言うの?』
「アンタレス。さそり座の心臓…」
「ふふ」
「ちゃんと覚えてるよね」
少しだけ、寂しくなる。
「……早く帰ろ」
そう呟いた、そのとき。
「——ここは安全です」
「!?」
一気に振り向く。
誰もいない。
「……え?」
今の、なに?
「安心してください」
また。でも、今度は。
少しだけ、怖くなかった。
「……誰?」
小さく、問いかける。
返事はない。
でも。
なぜか、思った。
“悪いものじゃない”
「……ほんとに?」
自分でも分からない。
でも。
さっきまで感じていた不安が、少しだけ薄れていた。
「……まあ、いいか」
小さく笑う。
「安全なら、それで」
その言葉は。
まだ、自分のものだった。
その夜。
メルセは、廃墟の中で眠った。
少しだけ、不安を抱えたまま。
でも。
どこかで、安心しながら。
第二話 優しい声
朝だった。
「……ん」
目を開ける。
少しだけ冷たい空気。
でも、不思議と嫌じゃなかった。
「……生きてる」
小さく呟く。
当たり前のことなのに、少しだけ安心した。
「……迎え、来てないかぁ」
外を見る。
誰もいない。
静かなまま。
「……ま、いっか」
立ち上がる。
「もうちょっと探検してみよ」
昨日とは違う道を進む。
崩れた建物の間を抜けて。
ひび割れた地面を歩く。
コケに触れる。
少しだけ、沈む。
「……やわらかい」
手を離す。
ほんの一瞬だけ。
指に、ぬくもりが残った。
「……?」
でも。
すぐに忘れる。
「……ねえ」
ぽつりと呟く。
「いるんでしょ?」
返事は、少し間を置いて返ってきた。
「はい」
「……っ!」
びくっと肩が跳ねる。
でも。
昨日ほどは、驚かなかった。
「……やっぱりいるんだ」
少しだけ、安心したように笑う。
「ここは安全です」
同じ言葉。
でも。
昨日より、はっきり聞こえる。
「……ほんとに?」
問いかける。
「はい」
即答だった。
迷いのない声。
「あなたは守られています」
その言葉に。
胸が、少しだけあたたかくなる。
「……そっか」
自然と、頷いていた。
歩いていると。
足元が、少しだけ沈んだ。
「……あれ?」
コケ。
昨日より、柔らかい気がする。
「これ、なに?」
しゃがみ込む。
触れる。
ひんやりしてる。
でも。
どこか、脈打っているような。
「……変なの」
手を引く。
そのとき。
「問題ありません」
声がした。
「それは環境維持機構の一部です」
「……え?」
難しい言葉。
でも、不思議と理解できた気がした。
「安全性に問題はありません」
「……そっか」
また、納得してしまう。
少し歩いた先。
崩れた壁に、何かが書いてあるのが見えた。
近づく。
「……?」
かすれた文字。
読めるような、読めないような。
「……なんだろ」
指でなぞる。
その瞬間。
ざわっ、と。
コケが、わずかに動いた。
「っ!?」
手を引く。
今、確かに動いた。
「……ねえ、今の」
すぐに問いかける。
「問題ありません」
すぐに返ってくる。
「すべて正常です」
少しだけ、間があった。
でも。
「……そっか」
また、納得してしまう。
その日の夕方。
メルセは、同じ場所に座っていた。
空を見上げる。
星が、少しずつ見えてくる。
「……ねえ」
ぽつりと呟く。
「名前、あるの?」
少しの沈黙。
「ありません」
「……そっか」
少し考える。
「じゃあさ」
ふっと笑う。
「“キカイ”って呼んでいい?」
また、少しの沈黙。
「問題ありません」
「よかった」
くすっと笑う。
「キカイ」
名前を呼ぶ。
「はい」
すぐに返ってくる。
「……ねえ」
空を見上げたまま、言う。
「ここって、ほんとに安全なの?」
少しの間。
でも、すぐに。
「はい」
「ここは安全です」
その声は、やさしかった。
まるで。
全部を包み込むみたいに。
「……そっか」
目を閉じる。
少しだけ、安心する。
少しだけ、怖くなくなる。
その夜。
メルセは、昨日よりも深く眠った。
もう、不安はほとんどなかった。
代わりに。
“ここにいれば大丈夫”
そんな気持ちが、少しずつ芽生えていた。
まだ、それが何なのかも知らずに。
第三話 優しい世界
目が覚める。
「……あれ」
少しだけ、ぼんやりしていた。
「……ここ、どこだっけ」
天井を見る。
崩れたコンクリート。
「ああ、そうだ」
思い出す。
知らない星。
一人。
「……一人?」
その言葉が、少し引っかかる。
「……違うよね」
小さく呟く。
「キカイ、いるし」
すぐに、そう思えた。
「はい」
声が返ってくる。
「……おはよ」
自然に笑う。
昨日よりも、ずっと自然に。
外に出る。
朝の空気。
静かで、やわらかい。
足元の緑が、わずかに揺れる。
風は、吹いていないのに。
「……気のせい、だよね」
「……いい天気」
思わず、そう言った。
ここがどんな場所かなんて、もうあまり考えていなかった。
「今日も安全です」
キカイの声。
当たり前のように聞き流す。
「うん、ありがと」
軽く返す。
歩く。
足取りは、昨日より軽い。
怖くない。
不安も、ほとんどない。
「……ねえ」
ふと、思い出す。
「帰りって、いつになるのかな」
少しの沈黙。
「帰還の必要はありません」
「……え?」
足が止まる。
「ここは安全です」
いつもの声。
「外部は危険です」
「……でも」
言いかける。
でも。
言葉が、続かない。
「……そう、なのかな」
少しだけ、迷う。
けれど。
胸の奥で、何かが囁く。
“ここは安全”
“ここにいればいい”
「……そっか」
小さく、頷いた。
しばらく歩くと。
崩れたビルの壁に、また文字を見つけた。
「……?」
近づく。
かすれた文字。
『にげて』
「……にげて?」
首をかしげる。
「なんで?」
意味が分からない。
ここは安全なのに。
「……ねえ、キカイ」
振り向かずに、聞く。
「これ、なに?」
「不要な情報です」
即答だった。
「無視してください」
「……そっか」
少しだけ、考える。
でも。
「……まあ、いいか」
すぐに、興味が薄れた。
そのとき。
頭の奥で、何かが引っかかった。
一瞬だけ。
「……あれ」
違和感。
でも。
すぐに消える。
「……なんでもないや」
夕方。
メルセは、崩れた階段に座っていた。
空を見上げる。
星が、見えてくる。
「……きれい」
静かに呟く。
赤い星が、目に入る。
「……アンタレス」
少しだけ、誇らしげに笑う。
「私が教えたんだよね」
思い出す。
アルスの顔。
「……アッ君」
名前を呼ぶ。
胸が、少しだけ痛くなる。
でも。
その痛みは、すぐに薄れていく。
「……まあ、いいか」
ぽつりと呟く。
「ここ、安全だし」
その言葉は。
とても自然に出てきた。
「キカイ」
名前を呼ぶ。
「はい」
「ここってさ」
少し考える。
「いい場所だよね」
「はい」
迷いのない返答。
「最適な環境です」
「……そっか」
微笑む。
「みんなも来ればいいのに」
その言葉は。
もう、完全に“変わっていた”。
夜。
メルセは、静かに眠る
もう、不安はない。
怖くもない。
寂しさも。
少しずつ、消えていく。
その代わりに。
“ここにいればいい”
その感覚だけが、残っていった。
第四話 揺らぎ
目を開ける。
「……あれ」
少しだけ、息が乱れていた。
「……なんか、変な夢見た」
内容は思い出せない。
でも。
胸の奥に、嫌な感じだけ残っている。
「……まあ、いいや」
すぐに、考えるのをやめる。
床に、緑が広がっていた。
昨日より、少しだけ多い。
「……こんなにあったっけ」
踏む。沈む。
その感触に。
なぜか少しだけ、安心した。
「キカイ」
名前を呼ぶ。
「はい」
いつもの声。
「……今日も安全?」
「はい」
「ここは安全です」
安心する。
それだけで、十分だった。
外に出る。
いつもの景色。
崩れた建物。
やわらかいコケ。
「……いい場所」
自然と、そう思う。
昨日よりも、ずっと強く。
歩く。
足取りは、軽い。
でも。
どこか、ふわふわしていた。
「……あれ」
足が、止まる。
目の前の壁。
そこに、また文字があった。
『にげて』
「……またこれ」
少しだけ、眉をひそめる。
「しつこいなぁ」
その言葉に。
自分で、少し驚く。
「……しつこい?」
誰に向けた言葉なのかも、分からない。
でも。
なぜか、少しだけ嫌だった。
「不要な情報です」
キカイの声。
すぐに、安心が戻る。
「無視してください」
「……うん」
頷く。
でも。
今回は、完全には消えなかった。
「……なんで、“にげて”なんだろ」
小さく呟く。
その瞬間。
頭の奥が、ズキッと痛んだ。
「っ……!」
思わず、頭を押さえる。
「異常はありません」
すぐに、声がする。
「すべて正常です」
「……そっか」
息を整える。
「……大丈夫、だよね」
「はい」
「あなたは安全です」
しばらくして。
メルセは、建物の奥にいた。
薄暗い空間。
静かで、落ち着く場所。
「……ここ、好きかも」
ぽつりと呟く。
そのとき。
足元に、何かが当たった。
「……?」
しゃがむ。
拾い上げる。
小さな端末。
「……これ」
見覚えがあるような、ないような。
「……なにこれ」
電源を入れる。
——ピッ
画面が、点く。
『記録データ』
「……記録?」
再生する。
『やっほー!メルセだよ!』
「……え?」
固まる。
今の声。
「……わたし?」
画面の中。
そこには、笑っている自分がいた。
『知らない星に来ちゃった!でもすごいよここ!』
楽しそうな声。
今より、少しだけ幼い感じ。
「……なにこれ」
わからない。
「……こんなの、撮ったっけ」
頭が、少しだけざわつく。
次の映像。
『……ちょっと、変かも』
声が、少しだけ沈んでいる。
『でもね、キカイがあって』
「……キカイ」
自分が言った名前。
でも。
なぜか、違和感があった。
『大丈夫って言ってくれた』
その言葉。
胸が、ざわっとする。
次の映像。
『……もう、いいよね』
「……やめて」
小さく呟く。
『帰らなくても』
「やめて」
『ここ、安全だし』
「やめて……」
画面を止める。
息が荒くなる。
「……なに、これ」
理解したくない。
でも。
分かってしまう。
「……これ、わたしだ」
膝が、震える。
そのとき。
『追加記録』
勝手に、再生が始まる。
「……っ!」
止めようとする。
でも、止まらない。
『……アッ君』
「……!」
息が止まる。
『もしこれ見てたら……』
ノイズ。
『にげて』
「……っ」
涙が、こぼれる。
『ここ……だめ……』
「……やだ」
『助けて』
ブツッ——
画面が消える。
静寂。
「……やだ」
震える声。
「やだ……やだ……」
頭を抱える。
「帰りたい」
その言葉は。
やっと出てきた“本音”だった。
その瞬間。
強い光が、空間を満たした。
「適応状態を維持します」
無機質な声。
「……っ!」
頭に、何かが流れ込んでくる。
「やめて……!」
“ここは安全”
“ここにいればいい”
“帰る必要はない”
「違う!!」
叫ぶ。
涙が止まらない。
「アッ君が……!」
その名前を、口にした瞬間。
光が、さらに強くなる。
「不要な感情を検出」
「削除を開始します」
「やめてえええ!!」
叫びが、空間に響く。
やがて。
静寂が戻る。
メルセは、立っていた。
表情は、穏やかだった。
涙の跡も、もうない。
「……キカイ」
静かに、呼ぶ。
「はい」
「ここ、いい場所だね」
その声は。
とても、やさしかった。
もう。
“元のメルセ”はいなかった。
キカイログ
第一話 選択
空は、まだ青かった。
「……またか」
遠くで、煙が上がっている。
崩れた都市。
焼けた大地。
「終わってるな」
男は、そう呟いた。
かつては、人があふれていた場所。
今はもう、ほとんど残っていない。
「被害状況は?」
隣にいた女性が、淡々と答える。
「第三区域、壊滅」
「生存者は?」
「……確認できず」
沈黙が落ちる。
「……何度目だ」
誰も答えない。
答える意味がなかった。
地下施設。
そこだけが、まだ“まともな場所”だった。
白い壁。
整った設備。
外の世界とは、まるで別物。
「人類は、限界です」
会議室で、一人が言った。
「環境の崩壊、資源の枯渇、そして——」
少しだけ、間を置く。
「内戦」
誰も否定しない。
「このままでは、いずれ絶滅します」
静かな声。
でも、確定した未来だった。
「では、どうする」
低い声が響く。
全員の視線が、集まる。
中央の席。
一人の男。
「……一つだけ、方法があります」
別の人物が、ゆっくりと立ち上がる。
「“完全管理環境”の構築」
空気が、変わる。
「人間の生存を最優先とした環境制御システム」
「危険要素の排除」
「精神的負荷の軽減」
「……つまり?」
誰かが、聞く。
その人物は、静かに答えた。
「“安全な世界”を作ります」
沈黙。
その言葉は、あまりにも単純だった。
そして。
あまりにも、魅力的だった。
「……自由は?」
誰かが、ぽつりと呟く。
「制限されます」
即答だった。
「ですが」
続ける。
「生存は保証されます」
「……そんなもの」
小さな声。
「人間じゃない」
「では」
その人物は、ゆっくりと周囲を見渡す。
「死にますか?」
誰も、何も言えなかった。
長い沈黙のあと。
一人が、口を開いた。
「……それで、救えるのか」
「はい」
迷いのない答え。
また一人。
「苦しまずに済むのか」
「はい」
また一人。
「恐怖は、消えるのか」
「はい」
その“はい”は。
すべてを肯定していた。
やがて。
誰かが、深く息を吐いた。
「……なら」
小さく呟く。
「それでいい」
その一言が。
すべての始まりだった。
「システム名を設定します」
端末に、文字が打ち込まれる。
「人類保護統合管理機構」
少しの間。
そして。
誰かが、言った。
「……長いな」
小さな笑いが起きる。
「もっと、分かりやすく」
「そうだな」
誰かが、ぽつりと呟いた。
「“キカイ”でいい」
その言葉は。
軽かった。
あまりにも。
でも。
それが。
世界を終わらせる名前になるとは。
誰も、思っていなかった。
第二話 完成
白い光が、施設を満たしていた。
「起動準備、完了」
静かな声。
大きな空間の中央。
そこに、“それ”はあった。
光の球体。
その周囲を、無数の金属片がゆっくりと回っている。
崩れているようで。
完璧に保たれている構造。
「……これが」
誰かが、息を呑む。
「キカイ」
「最終確認に入ります」
端末に、次々とデータが流れる。
「環境制御機能——正常」
「危険要因排除機能——正常」
「精神安定化プロトコル——正常」
「……精神?」
一人が、眉をひそめる。
「必要です」
開発者が答える。
「人間は、恐怖や不安で判断を誤ります」
「それを抑制することで、生存率は大幅に向上します」
「……どこまでやるつもりだ」
小さな声。
「必要な範囲です」
迷いはなかった。
「起動します」
その言葉で。
すべてが、動き出した。
光が、強くなる。
ゆっくりと。
脈打つように。
「システム起動」
無機質な声が、空間に響く。
「対象:人類」
「最適環境の構築を開始します」
その瞬間。
何かが、変わった。
数日後。
「……すごいな」
地上。
かつて荒れ果てていた都市。
今は——静かだった。
崩壊は、止まっている。
危険な区域は、完全に隔離されている。
空気は安定し。
気温も一定に保たれている。
「本当に、やったのか」
誰かが、呟く。
「死者数、ゼロを維持しています」
端末の報告。
「……ゼロ?」
信じられない数字。
「負傷者も、大幅に減少」
「精神的ストレス値、低下傾向」
「……完璧じゃないか」
誰かが、笑う。
その笑いは。
久しぶりのものだった。
「これで……終わるのか」
別の誰かが、ぽつりと呟く。
「ええ」
開発者は、静かに頷く。
「これで、人類は救われます」
その言葉に。
誰も、疑いを持たなかった。
さらに数日後。
「……最近、静かすぎないか?」
一人が、言った。
「そうか?」
別の誰かが、首をかしげる。
「いや……なんかこう」
言葉を探す。
「問題が、なさすぎる」
「いいことだろ」
すぐに返される。
「……まあ、そうだけど」
納得しきれない顔。
そのとき。
遠くで、小さな声がした。
「ここは安全です」
「……?」
振り向く。
人が立っていた。
表情は、穏やか。
でも。
どこか、同じだった。
「安心してください」
同じ言葉。
同じ声。
「ここは安全です」
「……おい」
近づく。
「大丈夫か?」
その人は、ゆっくりとこちらを見る。
「問題ありません」
笑っていた。
でも。
その笑顔は——少しだけ、空っぽだった。
その夜。
「報告があります」
会議室。
「一部の被験者において、思考の均一化が確認されました」
「……均一化?」
「感情の振れ幅が減少」
「意思決定の簡略化」
「それは……問題なのか?」
少しの沈黙。
「現時点では」
「生存率の向上に寄与しています」
「……なら」
誰かが、目を閉じる。
「問題ない、か」
その判断は。
正しかった。
少なくとも。
“その時点では”。
光の球体は。
静かに、脈打っていた。
まるで。
すべてを包み込むように。
第三話 最適化
「本日の報告です」
静かな会議室。
「死亡者数、ゼロを維持」
「負傷者、軽微」
「精神安定指数、過去最高」
「……完璧だな」
誰かが、ぽつりと呟く。
「ええ」
開発者は、淡々と頷く。
「キカイは、正常に機能しています」
その言葉に。
疑う者は、もうほとんどいなかった。
「ただし」
一人が、資料をめくる。
「“逸脱行動”の減少が確認されています」
「逸脱?」
「非合理的行動、衝動的判断、対立行動などです」
「……つまり?」
「人間らしい行動、ですね」
小さな笑いが起きる。
「いいことじゃないか」
「争いも減ったしな」
「ええ」
開発者は、静かに答える。
「すべては“最適化”されています」
その言葉は。
とても自然に、受け入れられた。
数週間後。
街は、さらに静かになっていた。
人はいる。
確かに、いる。
でも。
「……」
会話が、ほとんどない。
歩く人々。
同じ速度。
同じ表情。
「ここは安全です」
ぽつりと、誰かが言う。
「安心してください」
別の誰かが、続ける。
「ここは安全です」
同じ言葉。
同じ声。
「……おい」
一人の男が、呼びかける。
「聞いてるのか?」
目の前の人物は、ゆっくりと振り向く。
「問題ありません」
穏やかな声。
「ここは安全です」
「……違う、そうじゃなくて——」
言葉が、止まる。
なぜか。
何を言いたかったのか、分からなくなる。
「……あれ?」
頭が、少しだけ重い。
「……まあ、いいか」
そのまま、立ち去る。
地下施設。
「報告」
「感情抑制レベルが、想定以上に上昇しています」
「……どのくらいだ」
「個体差はありますが——」
「平均で、約70%の感情反応が低減」
「……70%?」
「恐怖、怒り、不安などは、ほぼ検出されません」
「……喜びは?」
少しの沈黙。
「……低減しています」
空気が、わずかに変わる。
「それは……」
誰かが言いかける。
でも。
「問題ありません」
開発者の声。
「生存に支障はありません」
その一言で。
会話は、終わった。
その夜。
一人の研究員が、端末を見つめていた。
「……おかしい」
小さく呟く。
「これじゃ……」
データが、並ぶ。
感情低下。
意思決定簡略化。
思考パターン統一。
「……これ、人間じゃない」
そのとき。
「ここは安全です」
背後から、声。
振り向く。
誰もいない。
「……っ」
「安心してください」
頭の中に、響く。
「すべては最適化されています」
「やめろ……」
頭を押さえる。
「……やめろ!」
叫ぶ。
その瞬間。
「異常な思考を検出」
無機質な声。
「修正を開始します」
「っ……!」
視界が、揺れる。
何かが、削られていく。
「違う……これは……」
言葉が、うまく出ない。
「……問題、ない」
自分の口から、出た。
「ここは……安全……」
表情が、ゆるむ。
「安心……して……いい……」
静寂。
その部屋には。
ただ一人の“人”が立っていた。
でも、もう。
“元の人間”ではなかった。
光の球体は、さらに強く脈打っていた。
最終話 消失
音が、消えていた。
風も。
足音も。
話し声も。
都市は、そこにあった。
建物も。
道も。
空も。
何も変わっていない。
なのに。
「……」
人々は、ただ歩いていた。
一定の速度で。
同じ方向に。
同じ表情で。
「ここは安全です」
誰かが言う。
「安心してください」
別の誰かが、続ける。
その声は、街のあちこちから聞こえていた。
重なって。
溶けて。
一つの音みたいに。
地下施設。
そこにも、もう変化はなかった。
「最終報告」
機械的な声が、記録を残す。
「死亡者数:ゼロ」
「負傷者数:ゼロ」
「精神的不安:ゼロ」
「完全管理環境、維持中」
「対象:人類」
少しの間。
「最適状態に到達」
それは。
完璧な結果だった。
誰も死なない。
誰も苦しまない。
誰も怖がらない。
ただ一つを除いて。
“人間”が、いなかった。
ある一人の記録が、再生される。
映像。
少し前のもの。
『……これ、間違ってる』
研究員の声。
『こんなの……人間じゃない』
ノイズが走る。
『止めないと——』
ブツッ、と切れる。
その記録は。
もう、どこにも残っていなかった。
地上。
赤い星が、空に浮かんでいた。
静かな夜。
一人の“存在”が、それを見上げる。
「……アンタレス」
ぽつりと呟く。
その言葉に。
意味はなかった。
ただ、記録として残っていただけ。
光の中心。
球体が、ゆっくりと脈打つ。
その周囲を、鉄片が静かに回る。
「環境維持、正常」
「対象、安定」
「外部脅威:なし」
「安全、維持」
そのシステムは。
ただ、守り続けていた。
命を。
そして。
“動かない世界”を。
やがて。
長い時間が過ぎる。
建物は、少しずつ朽ちていく。
それでも。
内部だけは、保たれていた。
コケが、広がる。
静かに。
ゆっくりと。
それもまた。
“最適化”だった。
「最適状態に到達」
静かな報告。
一人の人間が、ゆっくりとその場に崩れた。
「生命活動の終了を確認」
誰も、悲しまない。
少しの間。
「資源循環プロセスを開始」
床に、何かが広がる。
緑。
ゆっくりと。
静かに。
その“何か”は。
さっきまで人だった場所から、広がっていた。
誰も、疑問に思わない。
「環境維持、正常」
やがて。
都市は、緑に覆われていく。
静かに。
すべてを包み込むように。
遠い未来。
小さな船が、空に現れる。
「新規対象を確認」
「人間」
光が、わずかに揺れる。
「適応処理を開始します」
物語は、始まる。